日永の追分

日永の追分

日永の追分

種別

県指定記念物(史跡)

所在地

追分三丁目

指定年月日

昭和13年4月12日

解説

 追分とは道が二つに分かれるところで、日永の追分は、江戸と京を結ぶ東海道と伊勢に向かう伊勢街道との分岐点にあたります。日永の追分の鳥居は桑名の七里の渡しに建てられた一の鳥居に対して二の鳥居と呼ばれました。四日市を描いた浮世絵には、この鳥居を中心にした追分の風景が数多く描かれています。鳥居は、安永三年(1774)に一志郡須ヶ瀬村(現在の津市)出身の伊勢商人渡辺六兵衛が東海道を往来する人のために遥拝鳥居として建てさせたのが最初です。その後たびたび建替えが行われ、先代のものは昭和四十八年(1973)の伊勢神宮式年遷宮の際に、伊雑宮(いぞうぐう)の鳥居を移建(昭和50年)したもので九代目にあたりますが、平成28年10月に同じく伊雑宮の鳥居を移建して建替えられました。当初は伊勢街道をまたぐように建てられていましたが、現在は伊勢街道が鳥居の横を迂回して、鳥居を くぐらずに進めるようになり、また、先の移建時に周りが公園化されました。
 現在の追分には、常夜燈、道標、清めの手水所があります。常夜燈のひとつは奉献時から存在したと推定されます。道標は、明暦二年(1656)に建てられたものが、現在日永神社に移されています。それには「京」「山田」「南無阿弥陀仏 専心」「明暦二丙申三月吉日」とあり、現存する東海道の道標としてはもっとも古いもので、川原町の仏性院の開基専心によって建てられたことが知られています。
 日永は、四日市宿と石薬師宿の間に立つことから間の宿とよばれ、周辺には多くの旅籠や茶店などが並んでいましたが、追分は日永の飛地で東海道中膝栗毛に登場する鍵屋をはじめとして浅草屋や野口屋等の旅籠や茶屋、綿屋という両替商もありました。