浜田城跡

浜田城跡

浜田城跡

種別

市指定記念物(史跡)

所在地

鵜の森一丁目

指定年月日

昭和30年3月30日

解説

 15世紀後半、この地を治める田原美作守忠秀(たはらみまさかのかみただひで)によって築かれたのが浜田城です。田原氏は、もともと上野国赤堀庄(こうづけのくにあかほりのしょう)に住んでいましたが応永年間(1394~1428)に景信(かげのぶ)が伊勢に移り、四日市の赤堀に城を構えたとされます。景信は、長男の盛宗(もりむね)を羽津に、次男の秀宗(ひでむね)を赤堀に、そして三男の忠秀を浜田に配しました。世にいう赤堀三家です。
 忠秀は、浜田城の西方にあった東海道を海に近い東に移して交通の便を図りました。また市場の整備をおこなったのも彼の頃で、四日市という地名も忠秀のころに生まれた名前のようです。
 「伊勢軍記」によると、忠秀の二代後の元網の時、織田信長の家臣、瀧川一益に攻められ落城、子の重綱は城を脱出し、織田信雄に属していましたが、羽柴秀吉と信雄の合戦で討ち死にし、浜田家は滅んだとされます。
 現在城跡は茶室を備えた鵜の森公園となり、公園内の鵜の森神社に、忠秀以下四代の霊が祀られています。